初めて醤という言葉を聞いた方も多いのではないでしょうか。
醤(ひしお)は代表的な日本食である醤油や味噌のルーツともいわれています。個人的には、味と香りは醤油に近く、食感は味噌という感じで、思わずご飯が食べたくなってしまう代物です。
そんな醤のルーツを探っていくと、紀元前700年ごろ、中国・周王朝に初めて律令制度ができた時代にまでさかのぼります。周礼の大膳職には醤の醸造を司る役職があり、王家の模範料理でもある「八珍の美・8種類の基本料理」を作るときにはなんと「醤」120甕を使うとあります。このことから、既に多種多様な醤が作られていたことがわかります。用途としては調味料として使われていたようです。
また、「醤」という言葉は孔子の「論語」にもみられます。論語下巻、郷党第十篇に「醤」という文字が史実として初めて出てきます。孔子が食事の礼節を述べた中に「割不正不食不得共醤不食」というくだりがあります。これは「それぞれの料理法に合い、料理にふさわしい醤がなければ食べない」という意味です。肉や魚など、それぞれに合った醤を使い分けていたという食へのこだわりが伝わってきます。
そもそも醤(ひしお)って何?
醤(ひしお)はおおよそ4種類に大別されます。
・草醤(くさびしお)
・肉醤(ししびしお)
・穀醤(こくびしお)
・魚醤(うおびしお)
草醤はキムチなどの漬物へ発達します。日本においても醤らしきものは、製塩が始まった弥生時代には、すでに作られていたようです。
米・小麦・大豆などを原料とした「穀醤(こくびしお)」が、しょうゆやみその原型と考えられています。また、当時の中心的な醤は、魚介類を主な原料とした「魚醤(うおびしお)」と考えられており、現在も秋田に残っている「しょっつる」や、香川県の「いかなごしょうゆ」、能登地方の「魚汁(いしる)」なども魚醤が原型になっていると言われています。ベトナムにある「ニョクマム」もその一種と考えられています。
穀物や豆には麹などによる発酵のための酵素を加えなければならないのですが、魚には発酵する酵素がそれ自身含まれているため、簡単に出来る魚醤が好まれたようです。
このようにアジアで好まれ、特に発展した醤は「魚醤(ぎょしょう)」と「穀醤(こくしょう)」ですが、そのうち日本に伝来して独自の発展をとげたのは「穀醤」でした。これは、仏教の影響で菜食が主体となった日本人の食生活によく合うこと、魚醤よりもずっと保存に有利であることが挙げられると思います。
奈良時代になると、『大宝律令』には醤を扱う「醤院(ひしおつかさ)」という官職名が記されています。醤の種類もふえ、その原料も大豆・米・麦・もちごめなどが用いられ、市(いち)でも売られたことが記録から分かります。鎌倉時代まで食べ物に味付けされていなかったので、醤は調味料として使われていたようです。
ここでいう醤というのは穀醤にあてはまり、醤油と深く関係があります。醤は、米や麦、豆などを発酵させてから塩を含ませたものでそれからとれる液体が醤油だからです。
そんな醤も江戸時代になると少しずつ影をひそめてしまいます。それは、ひしおに比べ少ない大豆で多量にできてしまう醤油が庶民の間で広まっていったという背景があったようです。
そこで、再度この味噌や醤油のルーツでもある醤を見直して、悠久の味を堪能してみてはいかがでしょうか。
醤(ひしお)の粋な食べ方
醤は実に様々な方法でおいしくいただけるのですが、基本はやはりアツアツのご飯にのせて食べるのがお勧めです。